公開質問状と懇談の申し入れとそれへの市の対応
*金沢市政の非民主的で頑迷な強権手法を考える*

報告者 三浦章男(岩木山を考える会 事務局長)

 「弥生ネット」では2月7日に弘前市に対して公開質問状を提出し、金沢隆市長に懇談を申し入れた。あわせて質問事項についての回答は21日までにほしいことを要望した。以下が公開質問状と懇談の要請文である。


2006年2月6日

弘前市長 金澤 隆 様

弥生スキー場跡地問題を考える市民ネットワーク

公開質問状と懇談の要請

 昨年12月4日、東奥日報紙上で「争論」として、弥生に建設を予定している自然体験型拠点施設をめぐって、金澤市長と当会阿部幹事が互いの主張を述べあったことをきっかけに、12月10日当会主催の「岩木山弥生地区自然体験型拠点施設の是非を問う住民集会」の開催や、数度にわたる明鏡欄への投稿掲載など、弥生自然体験型拠点施設建設事業に対する市民の関心が高まってきています。
 拠点施設建設事業に関してはこの間、いくつかの疑問や問題提起がなされてきました。弘前市はこうした市民の声に対してわかりやすく説明をする責務があると考えます。つきましては、以下の質問に対して懇談の場を設け回答をしていただきたく要請します。

1. この事業の採算性、費用対効果について、冬季の運営内容も含めて具体的に説明をしてほしい。

2. 計画されている自然体験型拠点施設が持つ機能は、現在弘前、岩木、相馬の各自治体で運営している既存の施設で十分代替可能なものと考えるが、下記の既存施設の利用状況を教えてほしい。
 (ア) 高長根レクリエーションの森(弘前市)
 (イ) 久渡寺子どもの森(弘前市)
 (ウ) 市民の森(弘前市)
 (エ) りんご公園(弘前市)
 (オ) 小栗山農村交流公園(弘前市)
 (カ) 弘前城植物園(弘前市)
 (キ) 加藤川調整池(弘前市)
 (ク) だんぶり池(弘前市)
 (ケ) 整備された腰巻川と土淵川地域(弘前市)
 (コ) 岩木山トレイルセンター(現岩木町)
 (サ) ロマントピア(現相馬村)

3. 拠点施設建設計画にあたって「岩木山の自然は岩木山全体を総括的にとらえる必要がある。拠点施設建設による局所的な環境の改変・破壊であってもその全体に深刻な影響をもたらす。」ということを考慮したのか。したとすれば具体的にどのようにしたのか。また今後どのようにするつもりか。

4. 拠点施設建設計画にあたって、県の設定している「環境計画」と「景観条例」に提示されている「健全な生態系を維持、回復し自然との共生を確保する」ことや「先人の原風景を大切にすることで維持される歴史的、伝統的、文化的な景観を保護」しようとすることなどとの整合性を検討したのか。検討したのであればその具体的な結果を教えてほしい。また、予定地は津軽国定公園地内に入っている部分もあり、自然公園法との整合性も十分加味されなければいけないものである。これとの整合性の検討結果も開示してほしい。

5. 市は、「自然にできるだけ傷をつけない」と述べているが、そのためには現在の環境調査が不可欠だと考える。市は環境調査を行う考えはないのか。

6. 建設計画書には「学校利用を想定し」とあり、利用者に「学校」を想定している。教育関係等から建設の要望があったのか。また、誰が建設を要望したのか、その人的数値や要望内容と数値を具体的・客観的に明らかにしてほしい。

7. 自然体験型拠点施設建設との関わりで、弥生地域の振興策についてどのような考えを持っているのか説明をしてほしい。

8. この事業は約24億円という巨額な市民の税金を投入する計画である。にもかかわらず現段階では市民に対する十分な説明がされていないと考えるが、今後どのようにして市民の理解を得ようとしているのか。

 以上の8点について回答を用意し、市長との懇談の場を設定してください。懇談日の設定期日は2月中と考えております。
尚、回答期限を2月21日までにお願いいたします。回答が遅れる場合はその旨ご連絡下さい。連絡なく回答のない場合は、その旨マスコミを通じて市民に公表いたします。
 また、市長との懇談ができない場合は、その理由をお知らせ下さい。市長は市民の疑問に応える義務があると考えておりますのでよろしくお願いいたします。

以上


 以下がそれを報ずる新聞記事(朝日新聞・青森版2月8日付)である。

 しかし、2月22日(水)になっても何ら返答がないのであった。

 事務局が問い合わせをしたところ、弘前市児童家庭課柳原氏より電話で次のような返答があった。
 「21日までに返答できず失礼した。合併で忙しいこととこれまで類似の関係については児童家庭課長が対応してきた。(ので回答の必要はないと考えた。)また、24日に同内容での裁判も行われる予定なので、このたびの懇談については遠慮させていただきたい。」( )内は編集者が文意的に補足した部分である。
 
「合併事務・業務」で日常よりは忙しいのであろうが、担当は一人ではあるまい。手分けをすれば回答は出来るだろう。それとも回答する事務能力が担当職員にないのだろうか。そうだとすれば情けない話しである。市の職員は公務員であり公僕である。英語ではpublic servantであり、公衆に奉仕する者の意である。公衆とはもちろん市民である。原点・軸足は常にそこになければいけないだろう。

 12月10日に弥生ネットが主催した「岩木山自然体験型拠点施設」の是非を問う集会・シンポジウムに弘前市、推進議員連盟、商工会議所にも参加を要請したのに、まったく応答なく誰の参加もなかった。
 船沢地区の推進賛成住民が1人参加し意見を述べたが推進派の参加「皆無」を悔しい面持ちで「残念だ」と語った。賛成する人に対してもこのようなむごいことをするのだから、市長をはじめとする人たちは反対している人たちへの「聞く耳」は当初から持ち合わせてはいないのだろう。
 市はこのように誠意がなく、ヒューマンリレーションを考えずに無視しする中で、一方的に市政を進めるという反民主的、非市民的な対応しかしていない。にもかかわらず、弘前市長が代理人弁護士を通じて2月21日に青森地方裁判所に提出した準備書面では「岩木山自然体験型拠点施設」問題について「既に市議会レベルもしくは市民レベルにおいて様々な議論がなされた事柄」と主張しているのである。

 しかし、何一つ市議会での議論の形跡を示すもの、たとえば議事録の写しなど、また市民がどのような意見を持って議論したのかという言質的な事物は提出していないのである。

 このような無責任な頬被り的な対応は取材をする記者に対してもなされているようである。「明鏡欄」の担当者が事実関係をつきあわせるために問い合わせても「担当者が不在」「わからない」「多忙」等の理由で応じてくれないことがあると言っていたという報告もあるくらいだ。

 

 左上に示す新聞切り抜きコピーは「岩木山弥生スキー場開発弘前市長が発言」と題する今から12年前の1994年7月8日付の東奥日報記事である。「反対はごく一部、話し合う意思ない」「新聞に投書するから反対派は目立つ」という見出しに注目してほしい

 このような言辞を最近どこかで見たような気がして探してみた。それが右上に示す昨年10月の朝日新聞の切り抜き記事である。

こちらも「リゾート跡地計画、反対署名3万人」「弘前市長、開き直り発言」「道理説いても意見違う」という見出しに注目してほしい。

 これら2つの記事から共通して「金沢市長は反対する人を道理のわからない者と決めつけて、一切話し合いなどに応じず、説明もせず、もちろん議論もしない人」だという見解がわかる。このような人が長きにわたって弘前市の「首長」をつとめてきているのだ。
 話し合いや議論は民主主義の根幹をなす行為である。それを一市の首長が堂々と否定しているのである。しかも、このような姿勢を市長になってからずっと10数年間保ってきているのだから「ぶれない」ことに価値があるとすればご立派なことだ。
 しかし、頑迷にぶれようがないとすれば市民にとっては大迷惑なことではあるが一方で「ぶれない」ことで利益を得ている市民も結構いるだろう。
 このような市長の姿勢は1700余名の市職員を、市議の大半を、さらに職員組合までを市長に「右ならえさせる」独裁的な市政につながっていく恐れもあるだろう。いや、既にあの首長と職員組合との癒着が膨大な市税の無駄づかいを許してきた大阪市のようになっているのかも知れない。

 東奥日報記事の「反対はごく一部」とか朝日新聞の記事中にある「プレスに華やかに反対を表明しているが、しかし、賛成もある」ということを、前回の選挙の争点がまさに「岩木山自然体験型拠点施設」であり「179票」という僅差での当選、しかも有権者の4分の1しか得票しえなかった事実を市長はどうとらえているのだろうか。
 事実認識がしっかりしていれば小学生だって「自己の論理の矛盾」はわかるのではないだろうか。そして、謙虚に自分の姿勢に反省を加え、政策を根本的に見直すはずだろう。

 しかし、市長は頑迷に今までの轍に立ち、それを行こうとしているのだ。

このような市長を弘前市民は自らの手で選び、10数年にわたってそれを認めてきたのである。その中で弘前市は本当に住みよい町になっただろうか。
 本当に身近な問題である冬期の除排雪1つ取り上げてみても、毎年ただ市民に自主的な除排雪を押しつけるだけで「予想以上の大雪」「予算が底をついた」などと理由付けに汲々としているだけである。
 市長はじめその他の関係者も本気で市民に目が向いていれば「大雪を想定した予算や対策を事前に立てなけれがいけない」し「無駄な支出を抑えて除排雪予算を増やせばいい」「市職員が総出で市道の点検と保守に腐心する」べきなのである。
 弘前よりも降雪量が多い青森市では市をあげて市長、職員一体となって除排雪対策に取り組んでいる。自動車を運転する誰もが青森市の積雪道路の整備の良さを弘前市との比較で言うのである。
 ダイエーデパート問題、弘前公園有料化問題などなどなどすべて「問題」を生み出して、それを市民が受けているのである。「問題」とされる事業は決して市民が望んだとおりでなく、何らかの形で市民に負担を強いるものである。「問題」化されなかったこれまでの金沢市政や事業はあっただろうか。
 中にはこれらの「問題」の陰で「蜜」を吸っている者たちもいるのだろう。この人たちは市長との10数年にわたる「蜜月」を今も続けたいのだろうし、これからも続けたいと考えているはずである。だが「蜜月」がそんなに長続きすることは歴史上も通念的にもありえないことだし、それはあくまでも「我田引水、津軽弁で言う(てめ田さ水)」だけのことであればなおさらであり、毛頭市民一人一人のことなぞ考えはしない。

 市長がこの人たちだけを市民ととらえている以上、自己の政策に反対する人たちに目を向けて意見を聞くということは「無駄」なことだと考えるのは、その論理上当然だろうが、それは非民主主義なことであり、その他の多くのもの言わない、または言えない市民は浮かばれないのである。
 市民みんなが浮かばれて仲のよい市井(シセイ)の人たちが気軽に立ち話的な議論ができるような、無駄がなく貸借対照表の貸し方の負債が解消されるような「市井の姿勢で市政」を実行してほしいと心から願うものである。