住民監査請求・弘前市監査委員からの通知

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住民監査請求−却下 しかし、おかしい、許せない!

 8月1日に54名の市民が行った弘前市が今年度予算に計上している「岩木山弥生地区自然体験型拠点施設整備事業」に関わる「1億295万7107円の執行を差し止めてほしい」という「弘前市長措置請求書」に係る住民監査請求は『地方自治法第242条第1項に定める請求要件を欠くことから却下することが相当である』と通知(判断)された(法参照はこちら)。

1. この「却下」という通知(判断)は…法律的には「却下」とする理由そのものにはなっていないのである。
 それは支出の違法性・不当性の調査をするまでもなく監査請求自体が法律上の要件にあっていないことを理由としなければならないが、相も変わらず「議会での議決であり、市長の裁量の範囲内」ということしか言っていないからである。
また、『…監査委員の監査は、団体の執行機関である長及びその補助機関の事務執行行為自体を対象とし、決議機関である議会の議決等を対象とするものでないと考える。…』云々は、今回の監査請求にはあてはまらないことでもある。

2. この「却下」という通知(判断)は…
1)「住民監査請求」という制度を理解出来な監査委員の判断である。
2)「住民監査請求」をした市民の多様な意見・主張を理解しようとしない監査委員の判断である。
3)「岩木山弥生地区自然体験型拠点施設」基本計画に見られる多面的な質的諸側面について理解していない監査委員の判断である。
4)「岩木山弥生地区自然体験型拠点施設」基本計画に見られる多面的な質的諸側面について理解しようとしない監査委員の判断である。
5)市長サイドに阿諛追従するだけの判断である。
6)10年以上に渡る中で問題とされてきた事柄なのに、その長い経過(プロセス)でどのようなことがされて、どのような意見が交わされて、一般市民がこのことをどのようにとらえているかについては何もない判断である。

3. 1)から6)に関する補足
A.「議会での議決であり、市長の裁量の範囲内」について言えば、議会の議決は事実であるが一般市民からすれば極めて抽象的なことである。市民5000人の信託(選挙における投票数)を得て当選した議員一人が5000人中4000人は反対でも賛成すると5000人が賛成とされてしまう事実があるからである。一般市民イコール議員ではなくなっているのが今の弘前市議会である。このような事実から監査委員は出来る限り、直接民主制に近い形で市民の生の声に耳を傾ける必要がある。しかし、そのような思考・行動をしないで議会で議決されたという「結果」しか見ようとしない。
 現に、弘前市弥生在住のAさんは『スキー場が開設されなく本当によかった。農家にとっては生産物の流通といい物を生産するための政策が必要なのであって、今騒いでいる「何とか自然体験型拠点施設」など、ほしくないのが本音だ。』と語っている。
弥生地区は70年前に入植した人たちが苦しい中で開拓し、開墾したところである。三世代かけて今は立派なリンゴ畑になっているが、開墾の時は少し土を掘り起こすと、とにかく大きな石や岩だらけで、それとの戦いの日々だったそうである。その人たちがそこに住み始めて岩木山東麓に「自分たちのリンゴ園」を持ちたいとの思いで頑張ってきたのである。「リンゴ園」への愛着は強い。その思いは親から子へ、そして孫へと受け継がれている。Aさんに代表される弥生住民の大半はリンゴ園に不要な施設や建造物は望んでいない。

B.「岩木山弥生地区自然体験型拠点施設整備事業」と一語句で括られるがその内実は多岐多様に交錯し、しかもかなり専門的な事項まで含むものである。
1監査委員はこれらの内容について質的にどこまで理解し得て判断したのか。
2担当職員は経緯を含めた質的な理解をさせるために何をしたのか。
以上の点については、「第242条(住民監査請求)5 監査委員は、第3項の規定による監査及び勧告を行うにあたっては、請求人に証拠の提出及び陳述の機会を与えなければならない。」との規定に基づいて、監査請求人として訊きたいものである。

C.監査委員および市担当者はあくまでも結論が先にありきで過程も何も見ずに市長・行政がしようとすることを追認する姿勢だけである。このような監査委員にはその「監査委員としての適格性・適任性」があるのか。
 弘前市の監査委員は船水義貞、川崎勝巳、工藤 力の三氏である。
三氏の監査実情(書面上)には「あくまでも結論が先にありきで過程も何も見ずに市長・行政がしようとすることを追認する姿勢」がありありである。これほどに追従するのには何かわけでもあるのだろうか。
 第199条の2項「監査委員は、自己若しくは父母、祖父母、配偶者、子、孫若しくは兄弟姉妹の一身上に関する事件又は自己若しくはこれらの者の従事する業務に直接の利害関係のある事件については、監査することができない。」とあるが、追従するわけに「直接の利害関係」があったとすればこれは許し難い法律違反だし、それを把握出来なかった市行政の怠慢・力不足でもある。
 以上の点についても当然追求されるべきであろう。
また、今回「却下」決定を下した監査委員としては未来世代まで展望すべき文化都市、弘前市政を含めた監査業務の適任性を甚だしく欠いていると言えるだろう。

 この請求行為に対する監査委員の判断および市行政の対処は、弘前公園有料化に際して見られた対処のあり方と非常に類似性があると考えられるのである。
  はたして、市行政は公園有料化に関して次にような視点・観点、意見を深慮したのだろうか。
1)司馬遼太郎は「北のまほろば」で言う。
『ところで、本丸にのぼった者は、この台上の主役が天守閣ではないことを悟らされるのである。天守閣を見るよりも、台上の西北が広潤に展開していて、吸いよせられるように天を見ざるを得なかった。その天に、白い岩木山が、気高さのきわみのようにしずかに裾をひいていた。息をのむ思いがした。天守閣が、津軽平野の支配の象徴ではなく、じつはこの天守閣は、神である岩木山に仕えているのだということを知らされる。
 もしここに大坂城の天守閣のような巨大な構築物を置くとすれば、岩木山を主役とするこの大景観に対して調和をうしなう。雪の津軽平野を見遥かすうちに、岩木山を凌ごうとするものは現れるべきではないという気がしてくる。』(中略)

2)鎌田慧は言う。
『山と向き合いながら自己形成を図ってきた人は多い。自然と対峙することで、自分を見つめ直して人は成長する。私も高校生の頃は公園本丸で岩木山を眺め対峙した。太宰治や葛西善蔵もそうであった。』(講演会の発言から)
『これまで、市民がこころのふるさととしていた風景を、だれかが勝手に囲いをつくって出入りを禁じ、カネを要求するなどできないはずだ。それは故郷を売る行為でもある。カネ、カネ、カネ、カネ。郷土の精神を形成してきた風景までカネにかえようとする貧しさが悲しい。』(朝日新聞「環境ルネサンス」)

3)長部日出雄も言う。
『未知の航路を進むのに、不変にして不動の目標は、決して欠かせない。その点、津軽の人びとは幸いである。不変にして不動の目標として、岩木山が存在するからだ。そしてまた、岩木山は崇拝と尊敬、憧憬と親愛、信頼と信仰の対象で、精神的な意味では生きる力の源泉だった。』
『津軽の人は恵まれている。パソコンに向かう一方で、つねに不変にして不動の目標、岩木山を、朝な夕なに眺められるからだ。』(中略・陸奥新報「岩木わが心の羅針盤」から)

以上のような価値観や思い、それに感情を持つものはここに挙げた三氏だけではないだろう。同じ思いの市民は多数いるだろう。少なくとも共感する者は市民の殆どではないだろうか。
弘前市民にとって好んで「岩木山を不変にして不動のものとする」ために岩木山と対峙する場所が「公園の本丸」である。公園の入場有料化は、自由に「不動の目標、岩木山を朝な夕なに眺められる」場所をカネで買うことを市民に強制しているものだ。
 この入場有料化がいかに素朴な市民の岩木山に抱く感情と矛盾することであるかに市長、議員、職員の誰もが思い至らなかったとすれば実に悲しい。私たち市民は彼らに市政を委ねているのではない。『囲いのない郷土精神形成の「岩木山」という風景』を取り戻したいと切に思う。
弘前藩祖、為信は岩木山を神とした。決して入場料を取って見せ物することはしなかった。ところが「現市長・現議員」は岩木山を「見せ物」にして、支配してしまった。
ある会合の席で「岩木山のある町」岩木町の町長が「私の町の岩木山を見せて、金を取るなど不届きな話しだ。」と冗談とも真顔ともつかない言い方をした。弘前市民としては、その場にいられないような本当に恥ずかしい思いであった。
 今回の「却下」も弘前公園有料化を是認していくところの行為とその根を同じくしているものだろう。

最後に、今回の「却下」通知(判断)に対する葛西聡弁護士の見解を掲載する
1.「却下」とする理由になっていない。というのは支出の違法性・不当性の調査をする事でもなく監査請求自体が法律上の要件にあっていないことを理由としなければならないが、相も変わらず「議会での議決であり、市長の裁量の範囲内」ということしか言っていない。
前回控訴審で敗訴判決が出た基本計画作成委託費用に関する住民訴訟ですら、裁判所はそのような意味での「却下」にしていない。
2.『…監査委員の監査は、団体の執行機関である長及びその補助機関の事務執行行為自体を対象とし、決議機関である議会の議決等を対象とするものでないと考える。…』
云々は、今回の監査請求にはあてはまらない。
3.『また、法第242条の2では住民に団体の長等に対する公金の違法又は不当な支出についての制限・禁止等の措置を求める権利を認めたものであるが、高度な法律的政治的ないし行政的な見識が問われているとは到底思われない。』最後から2番目のこの段落は、文章としての意味自体が不明である。


<付>テキスト 住民監査請求について(通知)
弘監収第46号
平成17年8月24日
          様
弘前市監査委員 船水義貞
弘前市監査委員 川崎勝巳
弘前市監査委員 工藤 力
              
住民監査請求について(通知)
 平成17年8月1日付けで提出された「弘前市長措置請求書」に係る住民監査請求については、平成17年8月お目に開催した監査委員協議会において慎重に審査した結果、次の理由により、地方自治法(以下「法」という。)第242条第1項に定める請求要件を欠くことから、却下することが相当であると決定したので、通知します。

(理   由)
 措置請求書の結論(2)に記載の「市の施策の決定等に関する事項であっても住民監査請求の対象になり得る」。また、「地方議会の議決を経たからといってそれだけで公金支出が全て適法とされるわけでもない。」について

 監査委員の職務権限の中で法第199条第1項で、「監査委員は、普通地方公共団体の財務に関する事務の執行及び地方公共団体の経営に係る事業の管理を監査する。」としており、監査委員の監査は、団体の執行機関である長及びその補助機関の事務執行行為自体を対象とし、決議機関である議会の議決等を対象とするものでないと考える。
 つまり、監査委員は、執行機関に対する監督機関ではあるものの、議会に対しての牽制の機能までは有しないものと判断する。
 議会の議決事項は住民によって批判されるべきであり、それは議員の選挙や直接の議会又は議員に対する直接請求の方法によって行うべきであると法は予定しているものと解している。
 また、法第242条の2では住民に団体の長等に対する公金の違法又は不当な支出についての制限・禁止等の措置を求める権利を認めたものであるが、高度な法律的政治的ないし行政的な見識が問われているとは到底思われない。

 よって、整備事業の計画策定及びその執行については、市長の裁量権の範噴であり、また同事業は市議会で了承され、手続上も全く問題は存しないものと考える。


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