今季の大鳴沢源頭部の雪渓はいつもと違う 03年5月26日更新
毎年大体同じ時期に同じところに出かけている。しかし、時・所が同じでもそこに咲く花々が同じかというとそうではない。
その日も、この時期の、この登山道では最初の出会いがあった。標高千三百メートルほどの所で粗毛瓢箪木(アラゲヒョウタンボク・別名、オオバヒョウタンボク)に会ったのだ。
どうして、今まで会えなかったのだろう。同じ時季に何回もここを登っているではないか。降りているではないか。
特にここ数年、このような差異の大きさには驚いているし、何か悪いことの予兆かと背筋に寒気すら覚えるのだ。ミチノクコザクラを例にとると、赤倉キレットから続く稜線では、例年平均して五月の上旬に背丈の低いものが、先ず咲き出すのである。そして、大鳴沢源頭部の雪渓・雪田が消え始める八月上旬に背丈の高い群落が咲き出して、アキアカネを交えて春・夏・秋三季の風情を一緒に醸し出してくれる。今年、この風衝地である稜線上のミチノクコザクラの開花は遅い。暖冬で早い春の到来は開花を早めるのではと予想したが外れた。実に不思議で人間の思惑とは無縁のところで彼女たちは「彼女たち」を生きているのである。驚きながらも妙に納得して頂上をめざし、大鳴沢源頭部の「大雪渓」に向き合っていた。そして、「うん!」と呟き、「なるほど!」と頷いていた。今年の「大雪渓」は何の変哲もない「ただの雪渓」であったのだ。つまり、次に示す写真に見られる垂直な深い崖のような切れ込み(抉られた部分)がないのである。この写真は、いずれも六年前に撮影した大鳴沢源頭部から上部に延びる雪渓の下端部である。この年は「極めて普通の冬」であった。写真Aが沢上部であり、Bがそれに続く下部である。四、五月に山頂に行くには写真Aの左側を大きく巻いて傾斜のなだらかな所から雪渓本体に取り付くのである。
写真Bの垂直に切れ込んだ雪壁の高さは十五メートルある。巻けばいいのだから、だれもよじ登ることをしない。
ところで、どうして十五メートルもの積雪になり、しかもこの大鳴沢源頭部上部だけが抉られて積雪の少ない状態になるのだろうか。
大鳴沢源頭の雪渓・下端部 A / 大鳴沢源頭の雪渓・下端部 B
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答えはいたって単純明快だ。それは西または北西の季節風のなせる業なのである。
平年並みの冬であれば、西からの強い季節風は岩木山に、ほぼ連日激しくぶつかるのである。それは大きく二つの流れがある。
一つは西法寺森と岩木山本体との鞍部を抜けて、西法寺森に大きな雪庇を作り、大鳴沢両岸尾根に大量の雪を積もらせて、乾いた強風となって大鳴沢に吹き込み、駆け上がるのである。
もう一つはさらに二つに分かれる。一方は赤沢を吹き登り収斂されて、耳成岩と山頂部の間を吹き抜けて、大鳴沢源頭部に雪を運び下る。
もう一方は、噴火口から大沢源頭に突入し、東に吹き上げるのである。雪はその強い風の吹き出しによって、耳成岩下方から大黒沢源頭付近や巌鬼山、大鳴沢源頭部に吹き溜まるのである。 大鳴沢源頭部の積雪量が岩木山で一番多く、雪消えが一番遅いのも、これが理由である。ところで、この雪渓下端部が鋭く、しかも深く抉られて垂直の壁になっているのは何故なのだろう。これは西法寺森と岩木山本体との鞍部を吹き抜けて来た乾いた強風と、時として西高東低という気圧配置の低気圧が南に下がったりすると、北西に偏って吹く強風が、すべて収斂されて大鳴沢に吹き込み、駆け上がり、下端部の積雪を吹き飛ばしてしまうことに因るのである。
吹き飛ばされた雪は大黒沢上部のカール状地帯に溜まり、春スキーの格好のゲレンデとなるわけだ。今季の岩木山大鳴沢源頭部の雪渓は明確に「西または北西の季節風の吹き出しが極端に弱かったし荒れなかったこと」を物語っている。そして風の弱さは、大鳴沢上部に溜まった雪を吹き飛ばすこともしなかったので、十五メートルもの切れ込み(抉られた部分)が出来なかったのである。
ところで、この雪渓を登った時の感触は雪層が柔らかく締まっていないこと、雪層にアイスバーン形成が見られないことであった。
「岩木山」にとって、今季はまさに「暖冬」であった。同じ時季なのに、会ったことのないアラゲヒョウタンボクがいつも通る登山道で咲いていたりすることなども、暖冬に因る異変だろうか。