昨年の雪崩事故を振り返る

 昨年1月19日午前11時30分ごろ、スカイラインターミナル東面直下で雪崩が発生して、スキーヤー2人が巻き込まれて亡くなりました。雪山を愛する者として不幸にもお亡くなりになったKさんとTさんには、衷心から哀悼の意を表したいと思います。

1  雪崩発生の概要
 各紙によると大略は、「4人はスカイラインターミナル東面直下に張り出している雪庇の西側を登り、それを避けながらスカイラインターミナルに至り、さらにリフト鉄塔沿いに少し登ったところから、東に移動して通称鍋沢の上部に入った。そこからパトロール隊員のKさん、一般スキーヤーのTさん、Bさんの順でスキーを滑り始め、Kさんが転倒、Tさんが立ち止まった途端、西側斜面の雪庇が崩れるとともに、東側の斜面の雪も崩れ落ちた。Kさん、Tさんが流され埋没した。Bさんも流されたが自力脱出した。ガイドAさんはまだスキーで滑り出していなかった。」となるようだ。
 つまり、転倒による衝撃が、西側斜面(スカイラインターミナル東面直下)に張り出していた雪庇を崩落させ、その振動が東側斜面の崩落を誘発したということが事実のようである。
 
 遭難現場(通称・鍋沢=湯ノ沢の厳頭部で古い爆裂火口・戦前戦後にかけては桜まつり等で興行される曲芸オートバイの乗り場に似ている形状から「オートバイ乗り場」または「オートバイ」と呼ばれていた。)は雪崩の発生する場所で、雪庇の崩落やデブリがこれまで何度となく視認されている。特に西側斜面の雪庇崩落については拙著で詳しく述べている。
 また、私はこの張り出している雪庇を一昨年12月24日、29日と昨年の1月13日、14日の都合4回に渡って確認していた。

2 雪崩発生場所の問題
 総じて雪崩の発生は、斜面に積もっている雪層(弱層)が崩れることによる。物理的には自然的であるから、今回の事故原因も天災として人力の及ばない不可抗力なものであるとすることは出来ないわけではないが、殆どの雪崩事故は人為的な刺激が加えられることで発生している(全国雪崩事故防止講習会代表者、中山建生)。
 私も岩木山で3回雪崩に巻き込まれ流され埋まったことがある。また、雪崩に巻き込まれはしなかったが雪庇や雪渓上部の踏み落としは数回している。いずれにしても、流されたり埋まった時の初動原因には自分の行為が先にあった。
 ところで、AさんもKさんも「鍋沢を滑ると雪庇が落ちる危険性は知っていた」と各紙が伝えている。先日の東奥日報夕刊紙面でKさんの奥さんが述べていることからもこれは事実であった。
 私たち登山者は登高、下降に際しては鍋沢を通らないことにしている。ましてや、降雪の続く厳冬期にあっては絶対に通行しない。これは岳登山道尾根を登る登山者の常識である。
 しかし、ガイドやパトロール隊の人たちは「危険ではある」が「状況」によってはそこを滑降してもいいと考えていたのかも知れない。確かにそこを通過すれば100%雪崩を引き起こすということではない。また、これまでも実際滑っていたようである。私は鍋沢にスキーのトレースを毎シーズン多数見てきたし、雪の締まる残雪期には滑っているスキーヤーを見ている。このことから、「雪崩発生とその場所が予見されていたにも拘わらず、そこを滑降したこと」で、事故原因には人災的な要素が強くなるものではないだろうか。

3 雪崩発生後のセルフレスキューの面からの問題(その機器や道具はどうだったのか)
 一つはビーコンだが、装着していたのは埋没して亡くなった2人である。ビーコンとは送信機と受信機の両機能を備えたものだから埋没者のビーコンがが発信する電波をキャッチするための受信機を他のだれかが持っていて、電波を追ってその場所を特定することになるわけだ。しかし、埋まらなかった者が持っていなかったので、結果からすればこのパーティは持っていなかったのと同じになってしまった。
 二つめは埋まった人体が何処に、どのくらいの深さにあるかを特定するためのゾンデ棒。これは3mほどのつなぎ式の細いアルミの管である。雪面に突き刺してその触感から埋没者を探すことになる。ところが、今回はだれもゾンデ棒を持っていなかった。だから、スキーのストックで探したようだが、ストックのリングバスケットが邪魔をして「深く突き刺さる」ことはなかっただろう。
 三つめは掘り起こすための道具、スコップである。スコップの掘り起こす能力は手の10倍と言われる。登山者は、スコップのない時は炊事用の鍋などを使うこともある。1分が生死を分けるという状況の中で、手であれば10分、スコップは1分という機能の違いは十分理解されねばいけない。このスコップを持っていたのは1人だけであった。
 もう一つ指摘されることは、現場での行動形態である。雪崩の発生が予想される危険な場所を避けることは当然だが、やむを得ずそこを通過する場合は、通過者の間隔を十分とることである。一塊りになるような行動形態ほど雪面にショックを与えるが、分散することでそれは弱まる。また、間隔があると、先行者が雪崩にあっても後の者の対応が柔軟に行えるのである。逆も同じである。しかも、埋まらなかった者が埋まった者の場所を特定する場合、確実さが増すのである。
 この「セルフレスキューと雪崩全般についての一般市民向けの講習会」を弘前勤労者山岳会は2002年11月28日に県武道館で実施した。関心が高く、50名以上の参加者があったが、残念ながら公的な、またはそれに準ずる団体・組織からの参加者を私は確認していない。

4 リーダーはだれだったのか、その責任はあるのか
 自助努力がすべての山で、危険を避ける主体は自分自身である。雪崩からの脱出も自助努力の一形態である。Bさんは「上に出て流れに乗れば助かると知っていた」(陸奥新報)ので実行して助かった。
 これは「メンバーがリーダーにガイド的なことだけを望んでいては助かる場合も助からなくなる」ということを教えてくれるものではある。ところでリーダーはだれだったのだろう。リーダーの責任をどう考えればいいのだろう。パーティを組む登山行動にあってはリーダーの存在はすべての面で最重要なのである。それ故に、ことある時の裁判判例も、現場にいるリーダーへの責任は重いものになっている。
 雪崩に遭ってからではすべてが遅いのだ。山スキーヤーや山で楽しむスノーボーダーといえども、雪崩を積極的に避けることを冬山の実践主題として行動しなければならないのである。

5 今後の課題・雪崩地図の積極的な活用   
 私は1986年以来、「岩木山雪崩発生(予想)場所の地図」作成を何度か訴えてきた。(拙著参照)この意味と理由は、雪崩は同一場所での発生が繰り返されることが多いことから、山に入る者たちが、その「地図」を参考にして、雪崩を避けることを願っていることにある。 しかし、昨年まではどこからも、それへの対応はなかった。だから、個人的に岩木山で1976年4月以降の27年間に雪崩の発生した場所を点で記入した「雪崩発生場所の地図」を作成してきた。
 ところで、昨年1月に弘前大学農学生命科学部地域環境科学科の桧垣大助先生たちが「岩木山の雪崩」の研究のためにと私を訪ねてくれた。公の一部がようやく「雪崩」研究に向けて動き出して間もなくの遭難事故であった。この意味からこの事故はもすごく残念なものとなった。
 「雪崩発生場所の地図」は2万5千分の1地図に、赤い点を付しただけのものである。二度とこのような気の毒な遭難事故に遭わないために、広範な人たち(登山者、スキーヤー、スノーボーダー、消防関係者、岩木山パトロール、ガイドの方々等)にも利用してほしいと考えている。本会「岩木山を考える会」のホームページにも掲載している。また関係機関でプリントして活用、配布することも提案したい。
 なお、私の事後調査ではホームページに掲載した「雪崩地図」をダウンロードしたり、直接私に請求したりしたものは、北海道から新潟県、関東一円、それに東海地方の一部に及んでいる。
 また、請求者は、旅行・ツアー会社、各自治体、各種図書館、登山団体、スキー関係団体、消防・防災関係、警察、雪崩研究団体、スキーヤー、スノーボーダー、スキー・スノボードインストラクター、山岳ガイド、登山者、特殊なものとしては過去の雪崩遭難者の遺族・関係者など多種多様である。
 ダウンロードの総数は調べようもないが、昨年2月26日に「雪崩地図」を公開して 以来、本ホームページへのアクセス数が開設来2年間の2倍以上になっていることから、数千に達していると思われる。因みに、今月18日に東奥日報夕刊で本会URLが報じられてからのアクセス数は21日正午で350に達しようとしている。

6 雪崩に遭わないために関係者、関係機関で協力しよう
 私はこの「雪崩遭難」を避けることが出来た事故として捉えている。また、私以上に長く、深く岩木山と関わってきた弘前クライマースクラブのO氏も、さらに岩木山の冬季登山をしている弘前勤労者山岳会やその他の山岳会会員、一般登山者も同様の捉え方をしている。そう考えると、ますます亡くなった方々が気の毒で、非常に悔しい思いがするのを禁じ得ない。
 そこで、早急に山スキーや冬山登山をしながら、いかにして「雪崩を避けるか」ということに集中した広範な人たちの意見や議論に耳を傾けあい、真摯に学習する必要があることを提案したい。何故ならば、岩木山は小さい山であるが雪崩という現象一つとってみても、一人では調べ尽くせないほどの時間的、面積的な広がりを持っているからである。
 ところで、いかにして「雪崩を避けるか」という本質的な議論とは別に、遭難発生当日から、救助をスムーズに行うためには雪上車やスノーモービルの容易な運行が行えるように、あらかじめ「通路」を確保しておくことの必要論などが浮上していた。
 山スキー使用の登山者が入る尾根にすべて通路を造るとでもいうのだろうか。まさか、岳A、Bコースだけではないだろう。雪崩は岩木山のどの尾根、どの沢でも発生(地図からも解るように50数カ所に及んでいる)しているのだから、これは無理なことであるだろう。先ずは「雪崩を避けて、雪崩に遭わないためにはどうするか」という意見・議論・そのための態勢づくりが大事にされるべきである。
  登山者は麓の登山口から、自分の足で登り、それに従い次第に変化していく雪層や雪質を観察したり、ストックの触感などから雪崩発生に注意をして行くのである。雪上車やスノーモービルで一気に千数百mまで登ってしまっては、これは出来ない。 
ある登山者が「雪上車が7合目まで入ることが出来なかったならば、今回の遭難事故は起きなかったかも知れない。自分で歩いては行かなかっただろうから。」と言っていた。

評論家・森本哲郎は「自動車は・・不思議な空間の心理的拡大をやってのけたのである。・・・自動車は、いま自分が立っているその地面から目的地までを同質の空間にする。・・・自動車は目的地までの空間を、心理的に連続させる。」『文明の旅ー歴史の光りと影ー』と述べている。

これは「雪上車等に乗って、安全な麓の感覚や都市感覚で、心理的な転換を図れないまま危険がいっぱいの標高1200〜1300m
という非日常的な世界に行ってしまう。」と解釈出来るのである。

 雪上車やスノーモービルの登高出来る通路が、冬期間設定されているとそれを利用してますます多くの山スキーやスノーボード愛好者がやって来るだろう。人数が多くなるとそれだけ雪崩に遭遇する人的な比率は高くなる。雪崩遭難を避けて、雪崩を起こさないという主旨から逸脱してしまう論ではないだろうか。
 
7 雪上車やスノーモービルの運行
 ところで、今年も雪上車は走行している。雪上車運行は営林局の許可を得てのことであろうか。あの道は自動車等進入禁止になっていて、一時期営林局の「進入禁止」という看板も設置されていた所である。しかも昨年、この道は「登山道整備」として階段状の土留めが延々と設置された所であり、その上を雪上車が運行すると、土留めへの影響もあるのではないだろうか。国立や国定公園内での「自動車等の運行」に関わる環境省の規制のあり方からすれば、当然運行は規制されると思うのである。なお、昨年同様に今年も確認(1月13日)したことであるが、雪上車の運行跡には運行の邪魔になるような雑木等の伐採も見られた。これは写真で記録してある。昨年は事故後の2月11日の段階では、まだ雪上車が7合目付近まで入っていた。 
 
 これらのことに対する営林局、環境省(助かったBさんは環境省の関係者であると聞いている)、県自然保護課の見解を訊きたいところである。本HPの掲示板の欄を通じての回答でもいいと思う。昨年この事故後に県自然保護課に本会が電話で確認したところ、確認事項のほぼすべてについて「わからない」との回答があった。 
 
8 最後に
 誰にとっても同じ厳冬期の岩木山である。それなのにスキーヤーとスノーボーダーと登山者では対応が違うというのはおかしいことだろう。登山者にとって危険な場所はスキーヤーにとっても、スノーボーダーにとっても危険なのである。
 雪崩は趣味の違いや種類を識別してはくれない。だから、もっとも自然に対して謙虚な接し方をする者たちに見習うことが大切だと思うのである。
 登山者は自然の仕組みをよく知ろうとする。科学的な合理性という人間の勝手な解釈をおしつけて、自然の支配などは考えることもない。何故ならば、自然の仕組みを知らなければ山には登れないし、合理性という勝手が自然には通じないことを知っているからである。それゆえに自然の前での人の弱さや脆さも知っている。
 雪崩、落石、それに落雷、強風、厳寒等と戦ったところで人は負ける。雪崩や落石を人を襲うものに喩えたがる人も多い。だが、雪崩も落石も人を襲っているのでなく、力の物理的なバランスが崩れて、上から下部に崩落したに過ぎない。
 これが「自然」の仕組みである。だからそのような状態を謙虚に避けるのであり、かわすことが求められるのである。
 最後になるが、私は岩木山に関わるすべての人たちと、雪崩や落石等の事故を避けるために、また高山植物等の保護のために出来ることから協力していきたいと常々考えている。また、この論には関係者を非難する意図は全くなく、ただただ二度とこうした遭難事故が起きないことを祈念してのもであることを言い添えたい。

2003/1/21  三浦 章男
弘前勤労者山岳会・日本山岳会・日本自然保護協会・環境省自然公園指導員・自然保護協会自然観察指導員・岩木山を考える会事務局長