その年は梅雨入りが遅れていた。六月も半ばのことである。天気予報では終日曇りと言う。だが、雨を押しての登山となってしまった。雨が降りだした頃、スカイラインの真下の登山道にいた。登るにつれて、登山道に併行している湯ノ沢からの旧道の方から、呼び合う声が聞こえていた。登山者は旧道を殆ど歩かない。きっと山菜採りの人たちだろうと思っていたら、近くの竹藪を揺らして作業用の雨具に身を包んだ山菜採りの人が出て来た。簡単な挨拶を交わし、収穫の有無を尋ねてから旧道の状態を訊いた。「何回も山菜を採りに入っているから解るけど、荒れていて初めてだったら無理だね。」と言う。
雨足が強く激しくなっていた。雲に紛う濃霧が辺りを覆い始めた。視界はあまり利かないが、濃霧は素晴らしい演出家でもある。被写体に微妙な奥行きを与えてくれる。谷の深さは奈落の底となり、頂の首に架かると頂は気高さを増すという具合なのだ。
濃霧に誘われてまた登り出した。霧の奥に白い影が一瞬光り、輪郭がぼうーと拡散して広がった。シロバナハクサンチドリかも知れない。両手で地を掴むように動きは速まった。 近づくにつれて、輪郭は焦点が定まってきた。とうとう会えた。暗い藪下の微かな光の中で咲くハクサンチドリ。これはまさに微かな空の明かりに生命を開く菩薩さまである。
この花は咲いている場所によって、形状や色具合には変異があるようだ。命名は「白山地方に多く、千鳥の飛ぶ姿に似ている草」に拠っているらしいが、茎の先端に多数の花が総状につくのもおもしろい。その色具合がまた微妙で多様だ。基本は紅紫色だから、白花は非常に珍しい。ピンクや色の濃い赤、紫、ワインレッドなどにも出会える。
この日は、雨の下山も苦にならなかった。濃霧に煙る若緑のブナ林の風景が、その日に限って殊更、幻想的に見えたことは言うまでもない。