鯵ヶ沢スキー場開設による影響


 私は中村川流域の中村地区で生まれ育ちました。
昭和35年頃までは、夏でも川の水は飲めるきれいな清流でした。特に、徳明川は滅多に濁るこのない川でした。おぼれる心配のない川なので、小さい子供たちに先輩たちが川に馴れさせるための川でした。川の流れにじっと立っていると、魚が足にぶつかったり触ったりするのが解るほどの川でした。うぐい、やまめ、いわななどが無数にいる川でした。昭和40年頃から中村川の水が時々濁るようになりました。それが段々と数多くなって、今ではちょっと雨が降ると真っ赤な水が流れるようになっています。水の量も昭和35年以前の半分も流れていないような気がします。
これは奥山の木の切り過ぎによるものだということは、今では常識となっています。徳明川も水量は少なくなっていましたが、スキー場が出来てからはさらに加えて、真っ赤な水が流れるようになりました。それまでは、減反政策により上流部の長平地区が減反しているので水はどうにか間に合っていましたが、現在の鰺ケ沢スキ−場が建設された1989年頃から水量が少なくなり、少し間、雨が降らなければ「番水制」にするようになってきました。段々と番水制が多くなったので、3年前にポンプを購入して中村川から水を汲み上げて番水制を避けています。なお、現在はポンプ一台では心配なので、さらに一台購入してやっています。
 また、添付写真(縦に3枚つながっています)にあるように既存のスキー場が営業を開始した翌年の1990年9月20〜21日の大雨で、徳明川流域の一部で冠水した所もあります。このような冠水被害はこれまで経験したことのないことでした。徳明川を利用している子供からお年寄りまで、すべての人たちはスキー場が出来てよかったと思っている人は一人もいないと言っても過言ではありません。
 またスキー場を拡張すれば、源流の大鳴沢川、支流の湯船川もこうなるかと思います。
 決して徳明川の二の舞になることを許してはいけません。

平成12年9月29日

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字舞戸町字東禿67−47 一戸 忠久


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